恐怖の鬼軍曹の話
From:中村洸一
(@北谷のスターバックスより・・・)
扉を開けると、、、
そこには恐い顔したオーナーが、
一人ぽつんと座っていた。。。
真っ暗の事務所で、
目の前のテーブルに足を偉そうに乗せ、
プカプカとクールマイルドの煙草を噴かしながら、
オーナーはテレビを観ている。
私にとっては、、、
コイツは“恐怖の鬼軍曹”だ。
このシリアスな状況下で、
アパレルショップ店長の私は、
目の前で恐い顔している“恐怖の鬼軍曹”に、
一日の売上報告をしなければならない。
当時21歳くらいだった私にとって、
この瞬間は、一日の中でも、
最も嫌な時間だ。。。
「中村」
お疲れ様です!
「恐怖の鬼軍曹」
お~!どうだった??
「中村」
今日の売り上げは●●●円でした。。。
「恐怖の鬼軍曹」
はぁっ!?なんでそれだけ??
「中村」
すいません。今日は来客が少なくて・・・
シリアスな空気感の中、
プカプカと吸っていた左手のクールマイルドを、
戦闘開始のゴングを告げるように灰皿に消し、
“恐怖の鬼軍曹”による説教が始まる。。。
「恐怖の鬼軍曹」
あのさ、何で客が来ないか分かる?
「中村」
今日は天気も悪かったので・・・
「恐怖の鬼軍曹」
お店とお前に魅力が無いからなんじゃないの?
「中村」
はい、すいません。。。
「恐怖の鬼軍曹」
売れや~~~~~~!!!!(怒)
「中村」
が、が、、が、、、頑張ります!!!
と、このように・・・
当時21歳くらいだった私は、
アパレルショップの店長を任されており、
毎晩毎晩、閉店後に事務所に行き、
“恐怖の鬼軍曹”に売上報告をしていた。
この瞬間だけは、、、
本当に憂鬱だった。。。
売上が良ければ天国、
悪ければ地獄。。。
特に売上の数字が悪い時は、
事務所に行かず、
そのまま逃げ出したかった。
とにかく当時の私は、
毎晩毎晩毎晩毎晩毎晩、遅くまで、
“恐怖の鬼軍曹”のガミガミ説教を受け、
超がつくほどに、しごかれまくっていた。
そんな事もあり、当時の私は、
目の前で説教する“恐怖の鬼軍曹”に対し、
心の中で、いつもこう思っていた。
お前が売ってみろ!アホが!
このボケ!いつか覚えとけよ!!
10年後、見返してやるからな!!!
心の中で猛烈にムカツキながらも、
当時の私は、店の売上を伸ばす為に、
ただがむしゃらに模索した。
閉店後、店内のディスプレイを考え直し、
反応が良いレイアウトをテストする為に、
何度もディスプレイを変え続けた。
(もちろん、残業代0円で・・・泣)
お店に入ってきたお客さんに、
押したり、引いたり、笑わせてみたりして、
様々な接客アプローチを試した。
(昼は、しゃべり過ぎで喉が枯れて・・・泣)
お店のインパクトを刻み込む為に、
パンクロックDJイベントを開催して、
奇抜なイベントを開催したりした。
(疲れてても、眠れない夜が始まる・・・泣)
特に、このイベントでは、
本当に破天荒な事をやった。
一例をあげると・・・
自費でオリジナルTシャツを作って、
深夜3時33分に「限定33枚」として、
DJブースからダンスホールに、
33枚のTシャツをゲリラ的に放り込んでみたり、、、
陽気なパンクミュージックに乗せながら、
DJブースより真面目な感じで、
○ンドームの大切さをマイクで真剣に語りながら、
自費で買った、大量の○ンドームをバラまいたり、、、
自費で焼き肉をおごる約束で集めた友人に、
モデルとして、お店の服を来てもらい、
デジカメ撮影したカタログをPCで自作で作り、
DJイベント終了後に、お客さんに配布したり、、、
とにかく試行錯誤で、
いろんな事をやってみた。
当然、“恐怖の鬼軍曹”には相談せず、
店長である私一人の判断だけで、
勝手にやっていた。(ぜ~んぶ自費で・・・泣)
その結果、、、
私の努力が報われたのか、
お店の売上が、
ジワジワと上がっていった。
小さな路面店だったにも関わらず、
最初の頃からは想像も出来ないような、
驚異的な売上を叩き出していった。
お正月の初売り時には、
周りのショップが閑散としている中、
私のお店の前だけに、
オープン前から30人くらいの列が出来ていた。
その光景を目にした時、
私はめちゃくちゃ感動した。
そして22歳になった当時の私は、
付き合っていた彼女(今の嫁)との間に、
子ができちゃった事をきっかけに、
お店を辞めて、サラリーマンの道に進んだ。。。
お店を辞めると言った時、
いつも大嫌いだった“恐怖の鬼軍曹”には、
めちゃくちゃ引き止められた。
今の給料を2倍にアップするとまで言われた。
しかし、私はお店を辞めて、
全くの未知の世界である、
サラリーマンの世界に飛び込んでいった。
今振り返ると、、、
アパレルショップの店長時代は、
店の売り上げという呪縛に縛られ、
精神的に過酷な日々を送っていた。
いつも“恐怖の鬼軍曹”の顔を見る度に、
憂鬱な気持ちになっていた。
だけど今では、3年間の間に渡り、
世間知らずの若造だった私を、
ボコボコにしごいてくれた“恐怖の鬼軍曹”には、
本当に感謝している。
自分の給料以前に、
お店の売上をアップさせる事に、
ただがむしゃらに努力できたから。
売上がアップした時の快感は、
今でも鮮明に覚えているし、
今のビジネスでも活かしているから。
そして、あれから20年近くが経過した今、
私は経営者になっている。
当時の“恐怖の鬼軍曹”よりも、
恐らく、収入面でも生活面でも、
私の方がレベルが遥かに上だと思う。
今、あの頃を振り返ってみると、
当時の私には、
徹底したポリシーがあった。
それは、、、
“恐怖の鬼軍曹”に言われてからやるのではなく、
“恐怖の鬼軍曹”に言われる前にやる!
という頑固なポリシーだ。
世の自己啓発書には、
「言われた事はすぐにやれ!」
と、たくさん書かれている。
この言葉は間違っていない。
だけど、すぐにやるだけでは、
中途半端な結果で終わり、
その他大勢に埋もれてしまう。
なぜなら、、、
すぐにやったとしても、
「言われたこと」を、
ただやっているだけだから。
「言われたこと」を、
モタモタやる人間の価値は、
“一般的な使い走り”で終わる人間の思考だ。
もしあなたが、、、
これから収入を飛躍させて、
劇的なレベルアップを狙いたいなら・・・
「言われる前」にやる事!!!
上司やお客さんに、
「これをやって欲しい・・・」
と言われたら、、、
はい。もう終わっています!
ちょうど今、やっている所です!!
そんな状況を作れる人間になれれば、
あなたの収入は、
間違いなく桁違いに飛躍する。
そしてそこには、
大きな感動が生まれる。
上司やお客さんを感動させるには、
常に相手の考えそうな事を先取りして、
“言われる前に動く事”です!!!
「追伸」
当時、破天荒な事をやったDJイベントでは、
世間知らずの若造ながら、いっちょ前に金儲けを企んで、
販売用Tシャツを勢いでデザインし、
自費で大量に作成しました。
この自作金儲けTシャツは全く売れず、
今も私の家のタンスの中に眠っており、
毎晩、私の寝巻きとして活躍中です・・・(泣)
「追々伸」
当時、大嫌いだった“恐怖の鬼軍曹”とは、
あれ以来、全く連絡を取っておりませんが、
共通の知人より聞いた話によると、
アパレル店はたたみ、今は違う事業をやっているとの事。
もし、今の私が20年近くの時を経て再会を果たし、
“恐怖の鬼軍曹”と会う事になったら、
手土産として、これを持っていくでしょう。
↓
>>>“恐怖の鬼軍曹”への手土産はこちら
著者プロフィール
1983年沖縄生まれ、沖縄育ち、沖縄在住。 株式会社NKcreative 代表取締役社長。
パソコン一台だけで“ファンタスティックな革命”を起こし、「週休4日の自由な社長」のライフスタイルを提案する、沖縄のイクメンWebエージェント。
20代前半の頃にTVで放送されていた「マネーの虎」というリアリティ番組にハマり、当時の番組に出演していた数々の社長達の姿に憧れ続け、「いつか自分も社長になりたい!」という強い野心を持つ。
その後、「将来への夢と希望」を失った「低収入」+「残業100時間超え」+「年昇給ほぼ0円」という貧乏サラリーマンの生活を8年間に渡って苦しみ続けた中、パソコン一台だけで実践できる「奇跡のビジネス」と出会う。
「資金・人脈・知識の全てがゼロ」の状態からパソコン一台だけを使った「孤独な挑戦」だったにも関わらず、本業の会社に知られる事なく「副業収入」を着実に増やし続け、チャレンジ開始わずか8ヶ月という短期間で念願だった「脱サラ」+「自分の会社設立」を果たす。
「時間的・資金的・精神的にも大変そうに感じる・・・」という、一般的なイメージのある社長業のスタイルとは大きくかけ離れた個人が無借金で「たった一台のパソコンだけ」で実現できる「週休4日の自由なライフスタイル」を自らの社長信念に掲げる。
その信念の元、日々一台のパソコンだけで収益を安定的に伸ばし続けながら「大好きな家族や友人」と過ごす大切な時間を常に優先する時間とお金に縛られない「新感覚のラフな社長スタイル」を確立。
プライベートでは息子二人の育児にも積極的に参加し、春夏秋冬に行なわれる学校行事に毎回欠かさずに出席しながら、息子二人へのイクメン業にも全力で取り組み中。
資金・人脈・知識の全てがゼロの状態からでもパソコン一台だけを使って「週休4日の自由な社長」というファンタスティックなライフスタイルを実現する新たな個人を世に輩出する為、ブログやメールマガジンを中心にビジネスノウハウを発信中。
Amazon1位獲得記念!
電子書籍無料プレゼントキャンペーン1